穏やかな、その日





二人の休日が重なったその昼間。
しかし、多忙なその男はいくらやっても終わらないデスクワークに追われるという。
ならば、彼の部屋に行っても襲われたりはしないだろう、とガダラルはそこを訪れる。
何の事は無い、ただ、彼の世話が焼きたいのだ。
簡易キッチンで茶を淹れたり、軽食を作ってやったりと。
何杯目かのコーヒーをルガジーンのデスクに置き、自分にはチャイを用意する。
部屋から持ち込んだ魔法書をテーブルの上に
積み重ねるとソファにどっかりと腰をおろして、一息つく。



ルガジーンの部屋は中央に大きなスクリーンで敷居が出来ていて、
片方が執務スペース、もう片方がプライベートスペースになっている。
同じ部屋にいようとも、互いの姿は見えなかった。
これはどうやらガダラルの作戦勝ちらしく、ルガジーンの仕事ははかどり、
目の前の書類はどんどん減っていったし、
また、ガダラルの前の書物も速いペースでそのページはめくられていった。
互いの姿は見えずとも、その気配と会話が心地よい。



カリカリというペンの音と、パラリ、と薄い紙をめくる丁寧な物音。
暖かな二つの飲み物とその香り。
二人の空間を埋める、優しげな空気。温度。



こんな静かな時間も良いものだ、とふと少々疲れた目を労うように
書物から視線を天井へと向けると、丁度ルガジーンも書き物をする手をとめたらしく、
コーヒーをすする音を立てて、カップを置くとこう言った。
「なあ、ガダラル」
「どうした?」
「私は頭がおかしくなってしまったのだろうか?」
「・・・ハァ?何を言っている。おかしくなったのか、貴様」
しかし、その口調はいつもと変わらず自然で、発音もうつくしい。
ガダラルは、この五蛇将の長がおかしくなる、などと
ありえないと言う風に少し素っ頓狂な声を出してしまっていた。
それでも、それに答えを返すルガジーンの声は
相変わらず低く、思慮深い、男らしくも凛々しい。
「うむ。おかしくなったのかもしれん」
人間、おかしくなる・・・などという瞬間など、本当は誰も気付かないのが
普通なのだから、こうして自覚している以上、
恋人が本当におかしくなったのではないかと
ガダラルは心配し(それ以前に仕事のし過ぎで過労の心配もしたほどだ。
だからこうして世話を焼きに来ている)立ち上がって、
スクリーンの向こうのルガジーンの息遣いを耳を澄まして聞いた。
「どんな風にだ?言ってみろ」
やはり、少しガダラルの声は動揺で上ずっているようだった。
そんな彼の気持ちに気付いているのかは計り知れなかったが、
ルガジーンはいつもと同じように、落ち着いて
「気がつくと貴殿のことばかり考えているのだ。つい、な」
などとふざけたことを言ってのけた。
「な・・・っ?」
つい、馬鹿馬鹿しくて絶句するガダラルへ
「ははは、赤くなったな。可愛いな貴殿は」
笑ったが、それは事実だったので即座に何も言えなかった。
「バカ、死ね!下らんことを言っているといつまでたっても触れさせんぞ」
「む、それは困った。仕事をしよう」
「そうだ、しろ!」
「仕事が終わった暁には、触れさせて頂くが、いいか?」
ガダラルはまたそこで絶句したが、
「終わればな」
その声は思ったほど穏やかだったため、ルガジーンは安心して再びペンを執ったのだった。




そんな休日も、たまにはある。