皇宮から持ち場への帰り道に名を呼ばれた。
名、とはいっても役職名である。
「待て、炎蛇将」
その声は勿論聞き慣れたものではあるが、畏怖の念が付きまとう。
不滅隊を仕切り、自らも戦地に赴くこの国のブレーン。
「宰相殿。如何なされましたか?」
いつも思う、この男の瞳は冷たい、と。その腰に帯びるシャムシールのようだ。
俺を射殺したいのかと、そう思わせるほどの視線。
傍らに居るシャヤダルは深々と頭を垂れる。
宰相はにこりともせず、冷ややかな表情のまま二つ折りにしてある一枚の紙切れを俺に渡した。
声が低くなる。
「天蛇将から伝言だ」
恐らく一瞬だけ、俺の表情は緊張しただろう。
いや、大丈夫だ。ばれてなどいない筈・・・。
「失礼します」
平静を装ってその紙切れを見ると、今夜部屋に行く、と短く書かれてた。
その文字から違和感を覚えた。
「天蛇将の字といささか違うようです」
「ああ、伝言を受け、私が忘れぬようにと書いておいた」
「・・・左様ですか」
「市街戦のことで話したいことがあると、言っていたが」
「・・・わざわざ宰相殿が・・・お手数を有り難うございます。
 本来ならばこのようなこと従者を使えば済む話。我が上官ながら何をしているのかと、情けなくなります」
「聖皇様があれに天の名をお与えになった。天の多忙さは聖皇様の命でもある。
ならば、私もその命を担うべき。ただ、それだけの事」
「・・・寛容さ、痛み入ります」
カツカツと靴を鳴らして踵を返すと、宰相は再び来た道を戻っていった。
「どう思う?」
「・・・どう、とは?」
「宰相、あの男。俺を嫌っているように見えるが」
「ガダラル様。口が過ぎますぞ」
「・・・フン」



持ち場へと戻る前に詰め所に寄り、壁に張り出してある勤務表を確認する。
宰相の伝言なら、ルガジーンは今夜の夜勤は無い筈だ。が。
ルガジーンの名と今日の日付が交差する場所をなぞると赤いマークが付けられていた。
軍部上層会議の印だ。
夜、会議なのか。では、それが終わってから部屋に来るというのだろうか。
大分遅い時間になりそうだ。図書館で本でも借りて来るか、
いや、軍事会議など古狸どもの不毛な討論で拘束時間は予想できない。
ルガジーンが来るまで仮眠をとるべきか、などと思考する。




結局本を借り、あいつが来るまでだ、と自分に言い聞かせて
ベッドの中でそれを広げると、日ごろの疲れのせいか間もなく瞼が重くなった。
まどろみの時間は好きだ。
ゆっくりと眠りの淵に誘われる。


どれほどの時間をそうしていたかは解らない。
気がつけば、俺の体に触れる手があった。
ああ、ルガジーンが来たのだな。
俺は安堵し、再びまどろんだ。俺を起こそうと、むやみに触ってくる手も嫌いではない。
しかし、眠りの欲求は性欲に勝る。もっと俺を感じさせてくれれば応じる事も出来るだろうが。



ところがその手ははありえない事をはじめた。
寝ている俺の瞼に目隠しをし、両手を胸の前で、たちまち縛り付けた。


・・・おかしい。
このような事をするような男ではない。
それに、部屋に入ってから俺の名を一度も呼んでもいない。



気がついたときはすでに遅い。
西の平和すぎる暮らしに神経は麻痺していた。
誰かがこの部屋に忍び・・・うかつにも拘束されたことになる。
東での一般兵士の時代を思い出した。皮肉なものだ。こんな時にあの時の記憶が甦るなど。



そうだ。あの東の凍える大地を思い出す。
テントでこうして縛られ、ガンオイルの沁みた布を口に突っ込まれ、
同じ後方部隊の狩人の連中に5人がかりで犯された。
あの時の恐怖は未だに心の深部に燻りつづけている。


声を上げようとして布を噛まされた。


東にいた頃、そういうことがおきた場合抵抗しないで
させてやるのが自分を守る唯一の方法だ、と教えられた。
自分でも己の見目の良さは解っていた。
周りの男たちの舐るような視線はいつだって感じていた。
けれどまさか、娼婦達も来るキャンプ地で、男の俺が仲間に犯されるなど思ってもみなかった。

その記憶が甦った。



何者かは解らないが、俺が無抵抗なのを良いことに服を剥いでいった。
3日前ルガジーンに愛されたばかりの体は、恐らく少し赤い痣が残っているだろう。
あの男がきつく吸い上げ、俺はその度に声を上げた。

耐えよう。
こんな事はどうって事は無い。今まで散々貪られた体だ。
今更貞操を守ろうが、こうなっては守りきれるものでもない。
けれど、感じてなどやるものか。
快楽など得てたまるものか。
この体はもう、あの男だけのもの。
俺の陳腐なプライドを守るのは、あの男のため。



何の前戯も無く、いきなり体を裏返しにされ、いきなりソコに冷たい何かが塗りこまれ、
「ーーーーーッ!」
突き入れられ、息を呑んだ。
痛いってモンじゃない。畜生。
最低だ、こんなのはただの暴力だ。



そうか、暴力か。
納得する。俺を良くは思っていないヤツの仕業だろう。


畜生。



きついはずのソコに戸惑うことなく突き進んでくる。
肉体に傷を残さずに精神を壊すためにはレイプが一番手っ取り早いと、東も西も関係無く拷問官が言っていた。
畜生、屈服などしない。
俺はこんな卑劣な人間に負けなどしない。



無理に揺さぶられ、呼吸困難に陥って気を失ったガダラルへの
暴行を止めた男は、血に濡れる自分自身を、彼を苦しめていた口の布でざっと拭いた。
身支度を整え、手と目の自由も与える。
かわいそうにな。
口元だけで笑うと、夜着を着せ、羽毛布団も被せてやる。
シーツに落ちた血痕が無ければ、レイプの後などと誰も解らないだろう。
額にじっとりとかいた脂汗をぬぐうと
「お休み、炎蛇将」
やけに冷たい声で呟いた。



すでに月は上空に浮かんでいた。
酷く寒いような、乾いたような空気が頬を切る。
ルガジーンは不毛な会議と、老兵達の説教にほとほと疲れ果て、けれど足取りは将軍らしくしっかりと歩む。


将軍等が寝泊りする宿舎と皇宮を結ぶ回廊。
闇の中、カツカツと足早な靴音が響いて、それが自分の足音で無いと気付く。
月光の僅かな光の中、正面から人影がようやく輪郭を経て、姿を現した。
「・・・宰相殿」
「・・・ルガジーンか」
「お体の具合が悪いと聞いておりました。このような所でお会いするとは」
「・・・ああ、会議を休んでしまったな。明日窺おう」
「いいえ、内容は・・・無いも同然」
「ハハ・・・いつもの狒々爺どもの自慢話か」
肯定ともとれる困った笑顔でルガジーンは応じた。
「・・・良い月だ」
「ええ」
「さて、私は休もう。うぬも、良く休め」
「・・・ありがとうございます。良い夢を」
深々と頭を垂れ、その男が自分の前を通り過ぎるのを見送ろうとし、彼が自分を見つめていることに気がつく。
「・・・ルガジーン・・・」
いつもの凛とした声ではなく。
少し掠れたような寂しさを含む声。
「・・・いや・・・。良い酒があってな・・・部屋に、来ぬか?」
「それは魅惑的なお誘いですね・・・。が、残念ながら、情けないことに
 早朝からの勤務で疲れきっております。お邪魔をし、この巨体が大いびき等かきましてはとんだご迷惑かと」
宰相は乾いた声で笑い。
「面白いヤツ」
そう言い残すだけで皇宮へと消えていった。




宰相がヒュームだからだろうか。
なんとなくガダラルを思い出した。
すでに寝ていることだろう。


「お休みガダラル。願わくば良い夢を」