不器用な傷跡






毎日の寒空の下、厚手のカラクール製の防寒具を着込んで
見張り台に立ってはいるが、最近ガダラルの体調が芳しくなかった。
朝の会議でその姿を見たときは少々頬が赤みを差しているかな、と
思う程度だったのだが、昼過ぎ、ついに熱をだしたとの連絡を受ける。

実はミリ・ナジュリスもすでに風邪を引いて、
ようやく最近現場に復帰したばかりなので、
どうやら我々全員が床に伏すのも時間の問題かと思われる。
いや、どうにか私とザザーグで風邪の猛威は抑えたいところではあるが・・・。

側近のビヤーダに持ち場を任せ、上官の立場を利用して彼の様子を見に行く。
途中自分の部屋に立ち寄って、武装を解除して平服に着換える。たまには彼の看病もいいだろう。
ガダラルの部屋にいたのは側近でもある髭・・・名は・・・と・・・。
ああ、シャヤダル。
彼が看病をしているらしく、ガダラルの額には濡れタオルが乗せられていた。


ベッド脇の小さなテーブルには水瓶とグラス。
そこに水の張られた洗面器も。
ベッドの中ではガダラルが苦しそうな呼吸を繰り返している。
頬も朝見たより赤みを帯び、うなされているような声を時々、上げる。

「風邪か?」
「ええ、薬師の調合した薬は飲みましたから、あとは熱が下がれば良いはずです」
体内にウィルスが入った場合の熱なら、無理に下げる事も無い。
辛いかもしれないが、体は熱でウィルスを殺そうと働くそうだから、熱を出すのは自然のことなのだ。
「食事はしたのか?」
「実は、昨日から食欲がないと仰られて・・・」
「丸1日は食べてないという事か?体力が落ちるぞ」
ふと、熱でうなされるガダラルを見る。
体はすっぽりと布団に包まれていた。
「これでは熱の逃げ場が無い。体の一部を出してやらぬと・・・」
私は布団の下のほうをまくり、彼の足を出してやる。
触れると、滑らかな肌は確かに熱かった。
「寝ているようだし・・・。持ち場に戻って良いぞ。ワジャームの見張りを、頼む」
「ハッ」
シャヤダルは私に敬礼をすると、部屋から出て行った。

 

私はベッド脇で跪き、彼の手を取る。
あまりの熱さに驚きもしたが、握り締め、唇を寄せ、頬を押さえつけた。
先ほどまで屋外にいた私の体は冷え切っている。こうして彼を冷やせれば良いのだがな・・・。
手が冷やされた事に気が付いたのか、顔をこちらに向け、薄く目を明けた。
「ガダラル・・・辛いか?」
私だと気がついたろうか?口元がゆっくりと微笑む。
覆い被さるようにして軽く口付ける。その唇も吐く息もひどく熱かった。
「大丈夫、寝ていなさい」
そう言って彼の頭を軽く撫で付けると、案心しきった表情でまた目を閉じた。

憎まれ口一つ叩かず(勤務中に来るな、と言われると思っていたので拍子抜けだった)、
むしろ何も喋らずただ懇々と眠る姿に、やや不安を覚える。
手は熱い。つまり体温はある、生きている、ということだ。
・・・なのに彼がこのまま死んでしまうのではないだろうかと、情けなくも不安になった。
今までだって、市街戦とともに外傷が原因で熱を出した事はあった。
だからこうして彼が床に伏すのはさして珍しい事ではないのに、なのに私の心は騒ぎたった。
敵の仕込んだ毒だったら?いや、以前の市街戦から日が経っているし、なにより感染経路は解っている。
風邪でなかったら?いや、薬師の診断があったはずだ。
しかしそれが薬師の判断ミスだったとしたら・・・?

考えすぎだ。解っているのに、しかし考えずにはいられない。
彼の手を、いっそう強く握った。
熱でうなされているためか眠りは浅いようで、彼が私の手を握り返してくる。
・・・いとおしい。
その手の甲に噛み付くような口付けを何度もしてやる。
眠らせた方が治りは早いだろう、けれど安心したかった。
少しでも私の行動に反応してくれれば、私はまた安心できる。
白く細い指に自分の指を絡ませる。手だけを愛撫するように、強く、ゆるく、握る。
親指の付け根を擦ると、いつも彼はくすぐったそうに笑った。
だから、今も悪戯をする。
「・・・バカ・・・眠れぬではないか・・・」
乾いた唇からか細い声が聞こえた。
私はその一言でひどく安心をし、その渇きを潤すように唇を舐めた。
彼の口から、ため息のような声が漏れ、少し・・・。
いや、病人に不埒な事はできまい。ニ三話し掛け、彼の額のぬるくなったタオルを取り替える。
枕は・・・水枕を作って持ってこようか。
そういった備品がどこにあるかは見当もつかなかったが、おそらくは医務室にあるだろう。

偶然見つけた侍女に水枕のありかを聞いたら、
唇が乾いているなら・・・と、金属製の小さなピルケースを渡された。
流石に彼女等は気が利いている。その中にはリップクリームが詰まっていた。
一般人でも扱える医療器具は、わざわざ医務室に行かなくても彼女等が管理しているらしい。
誰が遣うのか等聞かれたが、曖昧にしておいた。
色々彼の世話をしに来られるのも少々気が引ける・・・。というか、私が世話を焼きたいからだ。
食堂へ立ち寄り、氷と水を貰い、そのままガダラルの部屋へと戻る。
彼の頭を寄せ、水枕を敷いてやり、乾いた唇には先ほど貰ったそれを塗ってやる。
シアバターと蜂蜜で作ったリップクリームは熱を帯びた唇の上で
すんなりと溶け、いつもの艶やかな唇が甦った。

窓を開けてよどんだ空気をを入れ替え、暖炉の炎を確認する。
薪は充分あったから、今夜は凌げるだろう。
ベッド脇に椅子を移動して、暖炉の上にのせたケトルの湯で
コーヒーを淹れてから、本棚の適当な本を取って腰掛ける。
暖かな飲み物を一口含んで本を読み始めたが、
荒く息をする彼を放っておけず、またその手を握りしめた。
開いた手で頭を撫で、額のタオルを取り替えるその度に口づけた。
こうなってしまうと不思議なもので、日ごろの彼の憎まれ口が奇妙なほど恋しい。
普段はこの顔からは想像もできないような悪態が理由も無くポンポンと口から飛び出すのである。
私は可笑しくてそれを聞き逃さまいと黙って聞いていると、
また勝手に怒って「貴様は張り合いがない」など言い出す始末。これがまた楽しい。
次第に彼は私へ無意味に喧嘩を売るような事はしなくなったが、会話は減った。
会話は減ったとはいえ、二人の仲に流れる沈黙という名の空気は
決して心苦しいものではなく、それは暖かな甘い飲み物のように、私たちの心をほぐしてくれた。
そういう時は「まるで歳を取った夫婦のようだな」などと言っては失笑されるのだが、
彼とならそうなるのもまた良いものだと思えてくる。
 

気が付いたら、すでにカップの中身は冷たくなっていた。
どうやら眠ってしまったようだ。
慌てて暖炉へと火の確認をするべく立ち上がる、と同時に繋いでいた手を強く握られた。
「起きたのか?どうだ、気分は?」
「・・・大分いい・・・」
「そうか」
私は胸を撫で下ろし
「腹は減っていないか?」
彼がろくに食事を摂っていなかった事に気が付く。
「水が欲しい」
「起きれるか?」
彼の体を支え、テーブルにあった水をグラスに注いで渡す。
その手も恐らくは力が入らないであろうから、
手を添えたまま水が彼の口に吸い込まれていく様を見続けた。
「・・・ふぅ・・・」
一息つき、私を見る。
「礼を言う。・・・が、勤務はどうした」
「側近に押しつけてきた」
「・・・全く・・・」
ふ、と笑って、グラスを私に渡すと、もう一度ベッドに体を沈ませる。
「まだ、寝る」
すでに睡魔は彼の瞼を下ろそうとしている。
その瞼に口付け、彼の寝顔を確認してから暖炉の薪を足し、
洗面器に入れるための氷を貰おうと食堂へと行く。
そういえば、私も食事がまだだったな。そう思うと途端に腹が減るから不思議だ。

夕食の時間はとっくに過ぎ、食堂はおろか厨房にも誰もいなかった。
困ったな。私はガダラルと違って料理らしい料理はてんで作る事ができぬ。
それに、彼も殆ど腹の中は空だろうから何か消化に良いものを食べさせたい。
さすがに皇国軍の兵舎食堂ともなれば食材は溢れんばかり・・・ではあるが。
肉や魚、卵やミルク・・・などは消化に悪いので
病人に食べさせるわけにもいかないだろうし・・・と、
ぐるりと厨房を見渡して、巨大な米びつを目の端に確認する。
アレは炭水化物が殆どであるから、煮詰めれば糊状になってしまうから消化に良い。
消化に良い、ということはエネルギーになりやすい、ということだ。
顎を指で摘み、ふと考える。
粥。
これなら私でも作れそうだな。

調理器具の並ぶ棚から小ぶりのなべを探すと・・・あった。土を焼いて作ったらしい鍋。
ミリがどこから得た情報か、急に「寄せ鍋ってものを食べたい」と騒ぎ出し、用意した鍋だ。
恐らくこれなら美味い粥が炊けるだろう。
米びつから米を掬い、水を注いで適度にかき混ぜて濁った水を捨てる。
それを何度か繰り返して、火にかけた。
水に浸した方が良い、とか火の加減などはさっぱり解らないので、柔らかくなるまで、ただ煮る。
途中吹き零れそうになったのを慌てて蓋を取ってしまった程度で、恐らくは失敗無く作れたはずだが・・・。

まっさらな白い粥はかくして炊き上がり味見してみたが、
やはり健康な人間には味気無く、物足りなく感じる。
岩塩を削って塩味を足してはみたが、どうもぱっとしない・・・。
何か彩りに野菜を加えよう。と、野菜籠に入っていたシバルが目に飛び込んできた。
ふむ、この青味を使えば、まあ、見た目も良かろう。
1本取り出して回りの薄くて固い部分を取り除くと、独特のツーンとした匂い。
この匂いの元である辛味成分が、火を通すと甘くなるというからまた不思議な話だ。
そして、この野菜は喉にも良いのだったな。
絶えず呪文を紡がねばならぬ魔道士にはありがたい食べ物ではないだろうか。
分厚い木の板で作られたまな板と、包丁。
両方扱うのは始めてであるが、まあ、見慣れてはいるからどうということも無く使えるだろう。
シバルを良く洗い、根元は捨てる。
それを小口切りに切り・・・。
流石に慣れないのでゆっくりとだし、厚みもそれぞれ全く違うが煮てしまえばわからんだろう。
それより、自分がこれほど不器用なのか、と悲しくなる。
食堂長は勿論、ガダラルや見習いの料理人や
・・・給仕娘だってもっと早く切っているのに。
良し、と腕をまくる。
あのリズミカルに包丁とまな板が叩かれる音を再現したい。
切り途中のシバルを再び持ち直し・・・。
・・・・・・指まで切った。
幸い、痛みにも血にも慣れてはいる。
この程度の傷は傷とも呼べん。
ケアルもせずに、とりあえず舐めて放っておく事にした。

出来上がった粥を持って、再びガダラルの部屋へ入る。
夜だというのにドアの隙間からは光が漏れていた。
起きてしまったのだろうか?部屋に入ってベッドを見ると、そこはもぬけの殻であった。
「ガダラル?」
思いがけず大きな声で彼の名を呼ぶと、
間もなく新しい寝巻きに着換えた彼が足元をふらつかせながらも奥から出てきた。
「汗をかいたのでな」
「私がやるものを・・・じっと寝ていたらどうだ」
「着替えくらい出来る」
彼の頬は、確かにまだ赤かったが、先ほどと比べたら大分落ち着いている。
私は安心し、クッションを積み上げてそれをパンパン叩くと、彼は背もたれにしてベッドに大人しく入った。
私もベッドに腰掛け、早速土鍋を見せる。
「ん、粥か?」
「腹が減っただろう」
「そうだな、少し・・・」
と、腹を抑えてみせる仕草が可愛らしい。
現金なもので、こうして彼が目を開けて私を見、
そして会話をする、というだけで先ほどまでの不安は霧のように掻き消えてしまった。
私はよほど、彼の目や声や、独特の喋り方が好きなのだろう。
つくづくそれを自覚させられる。
それが表情に出てしまうのか、ガダラルは眉間に皺を寄せて
「何笑ってやがる・・・」
と、不機嫌そうな顔になる。
いつもの日常が戻りつつあり、私は嬉しくなった。
「腹が減ってるのだが」
「すまん」
小さ目の茶碗によそって、スプーンに乗せると息をかけて冷ましてやる。
「お前が作ったのか?」
「ああ、初めて作ったから味は保証せんが」
「早く食わせろ」
どうも待ち遠しいらしく、その顔は嬉しそうだ。
「・・・ん・・・」
口をあけて催促する。
まるで雛チョコボだな。
確かに粥はペーストだ。スプーンを近づけて、口へ持っていくとぱくりと咥える。
「・・・どうかな?美味いか?」
「・・・ん・・・美味い・・・」
「そうか・・・!」
思わず私は破願した。こんなに嬉しい事はそうそうなかろう。

3口ほど食べた所で、食欲は満たされたらしく薬の用意をする。
薬師の調合した粉の袋を飲ませ、口直しに水を飲まそうと
グラスを再び持たせたとき、私の左手の指の傷に気が付いた。
「切れてる」
「ああ、先ほどシバルを刻んだ時に出来た包丁傷だな」
「慣れん事をするからだ・・・」
「しくじった」
そう、言い訳をしたその直後。

彼の赤い舌が、その傷を舐める。

一瞬、私の思考は止まり、ただ彼を見つめた。
私の視線など気にもしないのか、一度舌を引っ込めると、
ガダラルはまた唾液をまぶすかのように傷を舐める。
普段より熱いその舌に、私は少しだけ興奮をする。
「ガ、ガダラル・・・」
普段なら、こんな事は決してしない。私は彼の名を呼んでいた。
「鉄臭い・・・」
グラスを置き、彼の赤い舌をなぞるように奪った。
「・・・本当だな」
「ルガジーン、熱い・・・」
「熱いのは貴殿だぞ」
私の首に腕を回す、彼が愛しい。
このまま奪ってしまいたい。その熱を共有したい。
どちらのものともわからぬため息が、心を粟立たせた。
「欲しい」
熱っぽく、彼は私の耳に囁いた。


私と彼を繋ぐ、その一点が音を立てる。
いつもの潤滑油と・・・彼の中はすでに濡れていた。
そこはいつもよりずっと熱く、そしてその熱に私の理性は奪われた。
普段より気持ちがいいのはこの熱のせいだろうか。

高い体温のまま私に組敷かれ、まどろむような顔のまま喘ぐ。
髪は汗で湿り、額に線を描いている。
頬い腰は一層細く、無理に揺する私の手を抗議するかのようにきつく閉まった。
興奮していた。
彼の媚態には常に興奮するのに、今日は尚、激しく。

突き上げ、擦り、掻き毟るように
中を攻めると、泣きそうに何度も私の名を呼んだ。
喉が、鳴る。
その苦しそうな声に私は我に返ったように動きを止めた。
そうだ、風邪をひいているのに・・・。
「ルガジーン?」
「すまぬ、辛そうだ・・・」
「良い。体が勘違いをしているから、このまま・・・」
「・・・?」
「風邪の熱を、セックスの熱と勘違いしたんだ・・・さっき起きた時・・・ひどく汗をかいて・・・」
濡れていた、のだな。
彼の顔を撫で、滲む涙を口で受ける。
目じりの赤みは、色っぽく、私の欲は再び奮う。
口付けを交わし、足を持ち上げて深く挿入して反応を楽しむ。
ゆっくりと出し入れをすれば物足りないのか頭を振って
切なげな声を上げるし、激しく揺すれば私の動きに合わせて短く声を上げた。

彼が感じている事が、何より嬉しい。


私に頼りきり、体をすべて預けてくれる。
「大丈夫か?」
「寝る・・・」
「そうしろ。明日も休みなさい」
「風邪、移るかもしれんな・・・」
「鍛えているから心配ない」
「ちっ」
私は余裕の笑みを見せ、彼に布団を被せて、唇にリップクリームを塗りつける。
やはり、彼の唇は潤っていた方が、いい。
「お前も隣で寝ても良いぞ」
それは有り難いな。
ピルケースの蓋を閉めてテーブルに置くと隣に潜り込み、
後ろから彼を抱きしめるようにして横になったが、熱は大分収まったようだった。

我々のなかで猛威を振るっていた(?)風邪は、ついにガダラル止まりになり、
後日持ち場に就こうとした彼はザザーグに呼び止められ、大いにからかわれたらしかった。
可哀想だが、彼の体力は女性並、という証明になってしまったようだ。
予想通り「バカは風邪をひかぬ良い例ではないか」と、悪態をついていたが。