郷愁






彼と二人掛けのソファに座り、思い思いに好きな本のページを捲る。
開け放った窓からは少し湿った潮風が流れ込み、その度にカーテンを揺らした。
朝起きて、すぐに括ったはずなのに、太陽が高く、
容赦なくその光がこの部屋に射したのを理由に、ふたたび窓を覆った。
とはいえ、二枚重ねのうちのレースのカーテンを日除け代わりにしているので、
部屋が暗くなるほどではなかった。
そういえば、ガダラルの部屋はいつも薄暗く感じる。
多分、本棚にぴっちりと仕舞い込んだ書物を日焼けさせない為の配慮なのだろうが、
こうして日を遮った部屋で、貝のように口を開かずに本を読む姿は
まるで青白く、儚げに思えた。

彼は魔道の書を。
私は適当に精霊の理の本を。
彼の部屋には魔道の書以外のものは、ほんの僅かで、
結局私もこうして魔道に関する本を読むことになる。
こんなことなら図書館にでも行って適当に何か物色するべきかとも思ったが、
彼の側を離れるのは憚られるし、彼もまた、私にそばに居て欲しいのだろう。
人嫌いを公にしている彼がこうして私の隣で静かに書物に
目を落としているのがその証拠だろう・・・と自惚れる。

恋愛小説や、歴史物の物話には興味をそそられるが、
こういった魔道の書はてんでだめだ。
彼がすらすらと読むエンシェント文字すら私は読めない。
そのため、結局借りた本もつまらなく感じ・・・。
隣で、まるで呪文を唱えるかのようにブツブツといいながらも
夢中になっている彼を盗み見して、整った顔立ちをこっそりと楽しむことに専念した。

部屋は丁度良く暖かく、その潮風のせいか、口の中が乾くようにも感じられる。
ひときわ強い風が部屋に入り込んでカーテンを膨らませ、
それでも風は部屋に入ろうとするので、
あっけなくカーテンは孕んだ空気を捨てて、バサバサと揺れた。
その風音が大きかったので、私は彼から目を離して、
つい、カーテンのさらに向こうに目をやっていた。
隣から舌打ちの声が聞こえ、見ればガダラルの髪は
先ほどの風によって、酷く乱れていた。
普段の艶やかな真っ直ぐな髪は、彼の顔すら覆っていた。
それを合図にしたのか、良い区切りだとでも思ったのか、
彼は立ち上がって髪を掻き上げると
「茶を淹れてくる」
昨夜の甘やかな姿を微塵にも感じさせぬ
毅然とした態度で立ち上がり、バタン、と書をソファに叩きつけた。
「コーヒーを頼む」
物のついでのつもりで頼んだのがいけなかったのか、彼は
「俺は貴様の女房ではない!」
すっかり機嫌を損ねてしまい、ドカドカと足音を荒げて奥へと消えていった。
やれやれ、と肩をすぼめて先ほどまで読んでいた書を本棚に仕舞ったが、
ふと耳を澄ませば、奥からコーヒー豆を挽く音と芳醇なアロマが鼻を擽る。
なんだかんだ言うが、結局は照れているだけだと言う事を、私は当の昔に憶えてしまった。
彼のような人をツンデレ、というらしい。
うむ。確かに夜はデレになるな。
・・・などと言っては殺されるので、内緒にしておこう。

コーヒーの香りが立ち込める部屋にいて、何となくだが昔の記憶が甦った。
それは、私がほんの小さな子供の頃の思い出。
自室に篭り物書きをする父と、時計を見て、家事と私の相手の合間に
コーヒーを淹れてそれを父の書斎に運ぶ母。
休憩時間になると、幼かった私は父の書斎に入り、
ほんの少しの時間だが、ようやく遊んでもらう事が出来た。
母の焼いた菓子を三人で食べ、絨毯に溢した菓子クズを、二人は笑いながら拾ってくれた。
あの時、ねだって飲ませてもらったコーヒーの味を、私は忘れる事など出来ないだろう。
母の淹れるコーヒーは、素晴らしく旨く、そして子供には苦かった。
私の理想の夫婦像は、あの頃から常に両親だったのだろう。

歳を経て苦いコーヒーが好きになり、顔は父に似てきた。
奥からなかなか戻らない彼を呼ぶ。声はいささか、大きくなった。
「ガダラル」
「なんだ?」
「結婚、してしまおうか」

奥から「ガシャン」と、食器の割れた音が聞こえた。