はじめての恋  ・伸ばした手を・





島全体が活火山であるゼオルム火山を歩くのは楽とは言いがたかった。
地表の割れた部分からは固まりきらないマグマが顔を覗かせているし、
島そのものが熱を持ち、靴底すら地熱で焼けてしまうかといわんばかりだ。
踏みしめるのはなるべく冷えて固まった黒い部分を探すし、
かといってトロールに見つからないように警戒して歩かねばならない。

二人は岩肌を右手に隠れるようにして進んだが、
その島自体が熱を帯びているため、すぐに汗が噴出していた。
海から吹く風はすぐに生ぬるくなったが、それでも無いよりはマシで、
大きな波が断崖を叩く度に、こちらまで風は来ない物かとささやかながらに期待をする。
武装したままのルガジーンは特にこの道は厳しかった。
鎧が体にずしりと食い込む。アルゴルの重みが枷になる。
立ち止まっては給仕娘の用意してくれた鞄の中身を漁り、蒸留水を一口だけ含んだ。
それを時間をかけてゆっくりと飲み込む。
「水の節約には小石を舐めるといい。唾液が出て、気が紛れる」
ガダラルの忠告は最もだった。東部の中を生きてきた彼の知識はほんの些細な事でも役に立つ。
彼も背に大鎌を背負い込んではいるが、東部出の彼らしく、
長距離の活動は慣れているのか表情は何も変わってはいなかった。
溶岩の固まったままの自然造形の足場の悪い道を踏みつけながら、
ルガジーンは先頭に立ち、ガダラルを導くように地図を片手に
時に邪魔な石を蹴りながら火山を進んでいった。
後続のガダラルが歩きやすいようにとの配慮ではあるが、
後ろで大あくびをかます若い魔道士はその心遣いなど気が付いたかどうか。
また、場所によっては手を引いてやろうとそれを伸ばしたが、見事に叩き落された。
余程他人に触れるのが嫌らしい。
解っていた事なのに、ルガジーンは改めてくつくつと、楽しそうに笑った。
それでも、彼が苛つく表情が可笑しくて、また手を伸ばし、同じように叩き落され。

不謹慎かもしれないが、ガダラルの真剣に嫌がる表情が面白い。
また、腕を掴もうとしては叩き落される。
まるで猫じゃらしで遊ぶ猫のようだ。
仕掛けた本人は可笑しくてたまらず笑っていた。
「ははは」
「からかってんじゃねぇ!」
からかう、だなんてとんでもない、とルガジーンは思う。
朝から体調が悪そうだから、手をさし伸べたまでの話。
折角の親切心を、と心の中でぼやき、そうではないと否定する。
これは親切心などではない。そう見せかけた、ただの下心だ。
多分、彼に触れたい。
そう自覚したら、心が軽くなった。
不思議な話である。こうなると、彼に拒まれようが、嫌われようがどうでも良い。
触れたいから、触れる。それは自らの自由を意味する。


上り坂と薄暗いトンネルのクロット族をやりすごし、
やや広まった場所に出たところで古ぼけた風情の地図をガダラルに見せ、
「目的地は?」と聞いた所、その魔道士は「特に無い」と、のたまった。
正直困ったのはルガジーンである。
はて、炎の精霊の力を制御するためにこの火山に来たのは、
後ろでむすくれる黒魔道士殿のたっての望みではなかったのか?
そう口に出すよりも早くガダラルは立ち尽くしたままあたりを見回すと、
「これだけ精霊が多いとは思わなかった」
ボソリと呟く。
ルガジーンも言いたい事を遮られる形になり、立ち止まると、後ろのガダラルを確認する。
本当に見えているのだろう。彼は何もないはずの景色のそこに
確かに何かが居るかのごとくキョロキョロと目で追っていた。
「・・・・・・精霊が見えるのか?」
ナイトであるルガジーンには精霊の加護は無い。ガダラルの言葉は正直信じがたかった。
ガダラルは3連のボムを指差し、「本体の周りがぼんやりと光っているだろう?あの光自体が精霊だ」とは
言ってはみたが、ルガジーンは指差されたボムを見ても眉を寄せるだけだったので
「そうか、見えねぇのか」と、残念そうにその手を下ろした。
「見えねェほうがいいよ。中には悪意を剥き出しにする物だっているからな」
血塗られ帽子レッドキャップ、泣き女バンシー、水の凶獣ケルピー・・・・・・。
ガダラルが指折り数えて挙げたその名は、ルガジーンにとって
幼い頃母親に絵本で読んでもらった空想上の生き物の名前だった。
自身が見ることが出来ないからそれらを空想上の生き物だと思い込んだのか。
そう考えると黒魔道士である彼等に見える存在と言う物はなんと多いのだろうか。
「アンタは多分勘違いをしてるだろうけど、俺は元々精霊使いだ」
「黒魔道士とはちがうのか?」
「黒魔道士は殺傷魔法に特化してる。今はそうだ。
 戦争を経てしまうと、どうしても殺す力ばかりが持てはやされる」
「うむ、なんとなくは、解るな」
「イフリートは知っているな?」
「知っている、炎の精霊だな」
「ん、元々は人間だったんだが、まぁ、それはいい。
 俺はイフリートの加護を受けている。炎の魔法は得意だし、殺傷に優れているから」
「ふむ」
「つまり、イフリートは破壊の炎を司っている」
なるほど、とルガジーンは呟いた。
ガダラルの炎の魔法の威力はあの日すでに見せ付けられている。
「炎の上位精霊はもうひとつ居る。解るか?」
「さぁ、解らんな」
「聞いたことはあるだろうが、霊鳥フェニックスがそれだ。
 今は名を換えてカタナの中に眠っていると聞くが・・・・・・」
「イフリートとは違うのか?」
「フェニックスは死なない。・・・というと御幣があるかな。 死期が近づくと
 自らを炎で焼いてそこから再び復活する。イフリートとは違う。再生の炎を司る精霊だ」
ほう、とルガジーンが感嘆の声を漏らした。
「焼畑や野火焼きなんかはまさに再生の炎だな。
 燃やした植物の灰で、より良い植物が育ち、新たな芽吹きを手助けする」
「なるほど」
「ただ・・・今の時代殺傷魔法がもてはやされているから、フェニックスは弱まっている。
 信仰と同じだ。それとも死期が近いのか・・・」

人間という物は「何か」の力を信じ、それをやがて信仰の対象へと神格化させていく。
例えば雨を降らせるのは雨の神の力。風が吹くのは風の神の力。
そして世界を照らす太陽も神格化させてきた。
今は科学の力で太陽は星である事はわかっているが、
人間にとって好ましい存在にも、好ましくない存在にも神は宿っていた。
それらは荒神と呼ばれ、敬う事で加護を得、疎かにすればしっぺ返しが来るとされていた。
たとえば日照りが続けば、雨乞いと言う形の呪いをし、祝詞を上げ、神の力を借りようとした。
子供が突然いなくなれば、神隠しとされ、山の神に供物を捧げる事で
子供を返してくれるようにと祝詞をあげる。
荒神は優しいだけの神ではない。
時に人を苦しめ、供物や祝詞の要求をする。
人々は敬うと同時に恐れ、しかし荒神を怒らせなければ平和が続くのだとそう信じて生きてきた。

しかし、ガダラルのいうように「信仰」されなければ神の力は薄れていく。
荒神の住まう地に、もしも違った信仰が広められたら?
しかもその新たな信仰が荒神とは違い、全てにおいて慈悲深かったら?
人は楽な方を選ぶ。
荒神の信仰は廃れ、人々の祈りが無くなれば神は力を失う。

 

ガダラルが、そっと東の海岸の方へと目を泳がせる。
荒く高い波が断崖へと打ちつける派手な音が響いた。

ガダラルはここでもルガジーンを見ずにいた。
遠く海の果てをじっと睨んだまま、傍らのルガジーンの視線を無視し続けた。
ただし、海の向こうへと思いを馳せているせいか、その表情は少し優しい。
ガダラルがこちらを見ないのを良いことに、ルガジーンは普段見る事は出来ない
その穏やかな表情を好ましく思い、思ってからやはり彼に惹かれているのだと気付いた。
「師匠は・・・」
ガダラルの声が、ぽつりと波に攫われていく。
ルガジーンの瞳がずっと自分を見ていることには、最初から解ってはいた。
だから、ガダラルは多分ルガジーンを見ずにいたのだ。
見てしまえば、目があってしまえば多分、その男はガダラルの意志を感じ取ってしまうだろう。
ガダラルはそれが怖かった。
「うん・・・・・・?」
「ウィンダスに帰っちまった」
「中の国の、か?」
「タルタルのジジィだったからな。もう死んじまったかなぁ。手紙がさ、途切れちまってよ」
───精霊使いは風の力を使って手紙を届けるからな、
───来ないって事は死んだって事だ。 と、諦めたような口ぶりで続けていた。
そうか、だから東の海を見ていたのだな、ルガジーンはそれに気付くと同じように
東の、おそらくウィンダスの方角へ体を向けた。
「平和になったら探しに行けば良い」
「これだから西のヤツは・・・・・・。この国が平和になる事なんてありえねえよ」
ガダラルの言うことは最もだ。領地を広げるために近隣諸国に戦争を仕掛け、
奪い続け、西の都には蛮族が攻め入ると来た。
ルガジーンはアトルガンは今が一番の繁栄の時期ではないかと思う。
後数十年もすれば荒廃し、内乱が起こって滅ぶのでは、と。
否。
アルゴルの重みにかけて誓う。
あの可憐な聖皇と気高い宰相と。
彼等を護るのは自分なのだと。
「いつか、行こう。護衛が必要なら私が付いて行こう」
何気なく発した言葉だったが、それは不思議と自分たちの
未来を語っているかのようにも思え、ルガジーンは一人で照れた。
勿論、そんな事にガダラルは気付きもしなかったが、軽く口元に笑みを浮かべていた。

そこに立ったままの話が過ぎたのだろうか。
ふと背の大鎌の重量のせいかガダラルの足元がもつれた。
グラリ、と彼の体が背後へ傾くのをルガジーンは手を伸ばしてその細い腕を掴んで支えた。
緊張の糸がほんの一瞬解けたのだろう。
ルガジーンに腕を引かれるまま、ガダラルは自身に
何が起こったのかも理解できない風情で、きょとんと目を丸くしていた。
腕をつかまれるその力強さにようやく気が付くと、足に力を込めて立ち上げる。
「どうした」
「あんま寝てねェからだ。悪ィ・・・」
こめかみを抑え、頭を振る。寝不足と、鎮痛剤の副作用が同時に効いている。酷い眠気だ。
「朝から思っていたが、顔色が優れん」
覗き込むルガジーンの表情こそ思わしくは無い。
多分本気で心配しているのだ。細い眉がひそめられる。
バカだな、俺なんか心配して。
「見ンな・・・」
ルガジーンの温かな手を振り払い、その反動と足場の悪さで
再び体が揺れるのを、しかし、ルガジーンはしっかりと支えてくれていた。
「昨夜は何をしていた」
詰問ではない。けれど忌々しい、昨夜の事を思い出させるに
充分なその言葉に、ガダラルは苛立ちを感じていた。
「うるせぇよ。アンタにゃ関係ねぇだろ」
体を無理に引き剥がし、しっかりと料の足で大地にしがみ付く。
「しかし、足元がおぼつかないではないか」
「夜通しセックスしてたんだよ!だから寝てねェ!これで良いか?解ったか?畜生!!」
怒声に唖然とし、
「恋愛は自由だが、任務に差し支えの無いよう、頼む」
なんとも下らない事を言ったな、と反省しかけたが、
結局ガダラルには「ダッセェ」と、馬鹿にされてしまった。
「あんなのが恋愛だったら世の中平和だろうよ」
その言葉の意味が解らず、ルガジーンはガダラルを見つめた。
「レイプされた」

 

海からの風が吹き付け、ささやかながらにルガジーンの頬の熱を
奪い取った時、ようやく胸の痛みが本物だと気付いた。
ガダラルの二つの双眸がルガジーンを見ると、嘲るような表情に見る見る変わり、
「信じてんじゃねェよ。バーーーーーーーーカ!!」
思いっきり舌を出して「イーーッ」と子供のように顔をくしゃくしゃにすると、
呆けるルガジーンを置いて地図も無いのにさっさと歩き出した。
何事かと唖然とし、それでも彼に追いつくようにと足早に歩を進める。
まさか、いや、しかし。
確かに目の前を行く男は、男でありながら美しい。
元々そうだという、やける事の無い白い肌、青い宝石のような二つの目。
風に揺れ、サラサラと鳴る髪。やや肉感的な、紅いくちびる。
体躯の差だと思ってはいたが、彼等ヒュームの成人男性の姿を見比べても
どことなく儚く、そうだ、時おり見せる物思いにふけるその姿は夢の中の住人のように。
彼なら、有り得るのではないか。
ルガジーンは歩く度に揺れる細い腰にどうしても目が行き、そしてそれを見ないようにただ付いて行った。
すでに自覚をしてしまった。
彼は男だ。
どんなに美しいと、そう思っても彼は男だろう?

黙々と歩く若い魔道士は、ルガジーンの胸中など知る由もなく
地図を見てはまたキョロキョロと視線を泳がしていた。
朽木の側に赤い芋虫が寝そべり、海岸沿いには君の悪い陸魚や、陸蟹が忙しなく動いている。
「よくもこんな所に棲めるもんだ」
感心したようにガダラルは言うが、ここから先には
さらに気味の悪いワモーラやその幼虫が跋扈している。
トロール傭兵団の拠点もあるし、なるべくならあまり深入りせずに事を終わらせたい。
そう思うのはルガジーンだけではない。
ガダラルもまた、休息が必要だ。
「この先にまた洞窟があるらしい」
「ふむ」
地図を覗き込み、ルガジーンは頷く。
「できればもっと、炎の力の強い場所が良いんだがな」
「危険ではないのか?」
「危険だろうな・・・・・・」
ぽつ、と地図の更に西を指差す。
「この孤島まで行けるか?」
「行けなくはないが・・・」
考える振りをして、ルガジーンの腹は決まってはいた。
この孤島まで辿り着くまでに一体どれほどの危険を回避せねばならないだろう。
この魔道士はそれまでもつのか。
今、こうして地図を広げているだけでも、彼はやけに瞬きを繰り返しているし、生欠伸もやる。
先ほどのように足をふらつかせ、海やマグマの中へ落ちては事だ。
「辞めた方がいい」
「トロールどもなど蹴散らしていけばいい」
「そういう問題ではない」
勿論、ガダラルも本気で言った訳ではない。
ここは敵の本拠地である。雑兵に姿を見られるだけで奴等は軍を動かす危険性も考えられるのだ。
「炎の力が強い所がいいのだろう?」
ルガジーンの問いかけにガダラルは頷く。
「ハルブーンに入るしかないだろうな。マグマの溜まり場があるはずだ」
「ほう」
二人とも蛇将になってから日は浅い。
トロールに面は割れてはいないだろうが、「人間」であるだけで奴等は敵視し、襲ってくる。
「幸いトロールは情報の殆どを眼で得る。姿を隠して進もう」
ルガジーンは小さな袋を出すと、その中身をガダラルに覗かせた。
キラキラと光る透明な粉──。プリズムパウダーがそこに入っていた。

 

暗い洞窟の中は、さらにむっとする熱気が充満していた。
おまけに、フラン族の肉の臭いか、鼻を抑えないと吐き気すら催しそうになる。
「くっせぇ・・・」
姿を隠したが、ルガジーンが人差し指を自身の唇に当ててジェスチャーした様子は伝わったらしい。
ガダラルはすぐ口を噤み、ほとんど姿の見えない彼の気配だけを注意する。
「はぐれないように」
低練金ギルドから支給されている薬品の効果はなかなかのものらしい。
声の囁きに、ぞくりとしたのは気付かれてはいないだろう。
そっと、ルガジーンの手がガダラルの手首を掴んだ。
それには流石に体を震わせたが、場所が場所だ。騒ぐ事はしなかった。
「掴まれるのは慣れんか?すまぬが、少し辛抱してくれ」
トロールの雑兵たちが強化魔法を掛け合い、それでも侵入者には気づかずに
自分たちの持ち場をただウロウロとし、見張りのつもりか、しっかりと手には武器が握られている。
巨大な体に見合った武器である。普通の人間が喰らったらひとたまりもないだろう。
しかし、幸いな事に彼らはあまり耳は良くないのか、
砂利を踏みつける足音には気がつかない様子だった。
念のためその巨体の背後を回り、慎重に歩く。
ルガジーンもさすがに緊張をしているようで、
トロールの掛け合う魔法効果の音がするたびに、
微かだがガダラルの手首を掴むそれに力を込めた。
両手の装備であるグローブの、革の部分が特有の音を立てて軋んだ。
手首は痛くはない。
けれど、締め付けられてもいない筈なのに、胸の奥がひどく痛み、マグマのように熱く滾った。
どくどくと、鼓動すら聞えるのではないかと思うように、サイレントオイルが欲しくなるほどに。
聞かれたくはない。気付かれたくはなくて心臓の上を手で押さえつける。
ガダラルの胸の痛みなど気にもならない風情の男は真っ直ぐに前を見、警戒しながらも彼を導く。
姿は見えない。だからこそ男の手の熱に安堵する、
焦がれた表情をしても気付かれはしないだろう。
ガダラルは自然と、眉を下げていた。
まるで泣きそうな表情に。


ふいにルガジーンが立ち止まると、その姿を現した。
体に振り掛けたプリズムパウダーを自らの手で払ったのだ。
ガダラルもここは安全なのだ、と真似て改めてその場所を見渡す。
そこは狭いながらも広場になっていて、マグマの池が地表へ出てボコボコと煮えたぎっていた。
そして、驚く事にこんな所にキキルンが2匹も生息していたのである。
エジワから迷い込んだらしい彼らは突然現れた二人に驚く様子もなく、
それが当たり前と言うように鼻をひくつかせていた。
「ここなら、どうかな?」
「すげぇ」
目を凝らせば、マグマからは絶えず火とかげが姿を現し、
ガダラルの体に纏わりついては稀代の黒魔道士を歓迎した。
「サラマンダー・・・。火の眷属の量が半端ねぇな」
火とかげに触れようと手を伸ばそうとし、その手がしっかりと固定されている事に今更ながら気付く。
慌ててルガジーンの手を振り解いた。
「いつまでも掴んでんじゃねぇ」
「ああ、すまんな」
ルガジーンはけれど、穏やかに微笑んでいた。
先ほどの猫じゃらしの様子を思い出していたのだ。
と、急にガダラルは身を屈め、背負う大鎌を構えた。
「おい?」
「丁度良いネズミが居やがる。アレをイフリートへの生贄にしてやろう」
物騒な話である。ルガジーンは彼の手を抑え
「祝詞を挙げるのではなかったのか」
批難した。
余計な殺生は好まないらしい。
二人の言い争いに気がつき、しかもヒュームの男が鎌を構えて
こちらを見つめているので危険を察したか、二匹のキキルンは慌ててエジワへと戻っていった。
「あーーーっはっはっは!」
大笑いしているガダラルを面妖なモノでも見るかのようにルガジーンは眉をひそめた。
「面白い、あんなネズミでも死ぬのが怖いのだな!」
再び鎌を背負うと
今度はルガジーンを見据える。
「もし失敗したらイフリートは見境なくその場にいる奴を襲うからな。
 好奇心旺盛なネズミだ。ああでもしないとこの場に居座るだろう?」
つまりは。
「君なりの優しさか」
「うるっせぇ」

ハァ、とガダラルは深く息を吐き、ルガジーンに声を掛けた。
「祝詞とは精霊に捧げる歌のようなもんだ。
 実界では姿を持たない精霊は、術者の祝詞によってこちらで力を振るうための契約をする。
 ・・・・・・それが精霊魔法ってやつだが。だが、昨夜は祝詞を書く暇がなかった」
「どうするのだ?」
「無しでやるしかねぇだろうが。・・・・・・スペルを間違えればイフリートは怒って俺を襲うだろうがな」
「なに?」
「祝詞とは信仰心みたいなもんでな、それを間違えるようじゃ、疑われて当然だろう?
 契約を破棄される事になるかもしれん」
「・・・・・・」
「そこで精霊界へ行って、ヤツを捻じ伏せる事が必要になるんだが」
ガダラルはひとつ、呼吸を整え
「精神だけ精霊界へ行く。その間俺の体を守っておいてくれ。それが護衛の仕事だ」
ナイトであるルガジーンには想像もつかない話であった。
「ようは俺が死なないようにしてくれればいい」
「精霊界へ行って、無事に戻れるのか?」
「成功すりゃあな」
「失敗したら?」
「戻れんな。時間の無い精霊界で死ぬ事も出来ないまま彷徨い続けるだろうな」
ニヤリ、とガダラルは笑ったが、ルガジーンは笑い返すことは出来なかった。